LOGIN私が見せた紙をもう一度確認すると、真人さんはデスクの内線へ手を伸ばした。
「川原、少し来てくれる?」
ほどなくして、ノックの音が響く。
「失礼いたします」
呼ばれて部屋に川原さんが入ってきた。
「川原。悪いけど、これから少し会社を抜ける」「承知いたしました」「社宅へ行く。相沢さんのストーカーの件だ。何者かが彼女の家のポストに投函した写真を見たんだ。君にも同行してほしい」「かしこまりました」 川原さんは理由すら深く聞かなかった。ストーカーの件で通じているので、彼のことは信頼して話しているのだろう。 真人さんが差し出した写真を一瞥すると、川原さんはすぐに表情を引き締める。「社内の確認も進めましょうか」「ああ。今、誰が社内にいて、誰が外出しているか確認できるようにしておいて」「承知いたしました」 話が早い。 さすが真人さんの秘書だ。<「陽奈ちゃんには申し訳ないけど、あのぬいぐるみは警察に提出することになる」「うん……」「新しいものを用意しよう」「それは……そうしたいんだけど、できれば今日、買ってあげたい」 真人さんが私を見る。「あの子、いつもぬいぐるみを抱いて寝るの。急になくなったら、きっと悲しむから」「そっか」「だから、今日……新しいもかちゃんを買ってあげたい。真人さん、お仕事終わったら、一緒に来てくれる?」「わかった」 真人さんが頷く。「実況見分が終わったら、一緒に買いに行こう」「えっ。でも、真人さん仕事が……」「大丈夫」「でも、もう何時間も付き合わせちゃってるし」「僕が行きたいんだ」「真人さん……」「縁あって、期間限定とはいえ家族になったんだから」 にこっと笑う。
「真人さんはずっと私と陽奈を守ってくれてる。だから謝らないで」 真人さんはしばらく黙っていた。それから、小さく息を吐いた。「……わかった。でも、葵さんや陽奈ちゃんをこれ以上は絶対に危険な目に遭わせたくない」 真人さんの声が強くなる。「葵さんの部屋には、セキュリティ会社を入れる。社宅にも防犯カメラを増設しておく」「そこまで……」「するよ」 即答だった。「僕が恋人という立場でいることが抑止力になるなら、いくらでも演じるから。いつでも頼って欲しい」 演じる――その言葉に、胸の奥がちくりとした。 そうだ。私たちは恋人じゃない。 これはあくまで、ストーカーを捕まえるための偽装の恋人設定。 真人さんは、私と陽奈を守るために恋人を演じてくれているだけ。「葵さんと陽奈ちゃんの安全のためなら、なんだってするから」「……ありがとう」 嬉しいのに、少しだけ苦しい。 私、どうしちゃったんだろう。「迷惑ばかりかけて……」「また言った」「え?」「遠慮禁止って言っただろ?」「あ……」 真人さんが困ったように笑った。「迷惑なんて思ってない。むしろ、こうして葵さんと一緒にいる時間を、僕は大事にしたいと思っているから」「……え?」「だから、もう謝らないで」 またさらっとそういうことを言うんだから。 胸の奥が騒がしくなる。
「葵さん」 泣いて震えている私の肩を、真人さんが包んでくれた。「警察を呼ぼう。あと、もうここには戻らなくていい。必要なものは僕が用意するから、すべて処分しよう」「でも……そんな……迷惑を……」「迷惑なんかじゃない。こんな状態で葵さんを放っておけないよ。お願いだからそうして欲しい。頼むよ!」 真人さんが悲壮な顔で訴えてくる。「ストーカーを見つけて警察に突き出すまでは、僕たちは恋人関係だってこと忘れないで」 優しい言葉をかけられて、また涙があふれてくる。「真人さん……ありがとうございます……」 彼の腕の中で、私はしばらく声を上げて泣いた。 安心したのか、張り詰めていたものが一気に崩れて、涙が止まらなくなっていた。 震える背中を、真人さんがずっと優しく撫でてくれていた。 川原さんが呼んでくれた警察がすぐに来てくれた。 部屋が荒らされ、下着まで盗まれている。 以前からストーカー被害について相談していたこともあり、事情を話すと警察の対応は早かった。 実況見分が始まると、私たちは部屋から出された。 午後からの仕事は休ませてもらうことになり、残っていた仕事は神田君にお願いした。『こっちは大丈夫だから! 相沢さんは仕事のことなんか気にしないで。それより倒れないようにしてよ』 電話口で、神田君は私のことを心配してくれた。「ありがとう。ごめんね、急にお願いして」『こういう時くらい頼ってよ。何かわかったら連絡して』「うん」 電話を切る。 神田君、優しいな。 急に仕事を押しつけてしまったのに、快
危険と判断したため、真人さんが二人ではいかずに川原さんの戻りを待って、三人で部屋の前まで来た。 久しぶりに、自宅の玄関前へ立った。変な感じ。ここで暮らしていたのに。 今は、ドアの向こうに何があるのかわからない場所みたいに思える。 「僕が先に入る」 真人さんが鍵を受け取った。「川原は外にいて。社内の状況確認を続けて」 「かしこまりました」 扉を開ける。 少しだけ中を確認してから、先に足を踏み入れた。「……誰もいない」 ほっと息をつく。「入って大丈夫」 「うん」 私は真人さんの後ろについていった。「川原」 「はい」 「今、社内にいない社員を確認して」 「すぐ調べます」 数分もしないうちに、川原さんから報告が入った。「田原はデジタルマーケティング課のデスクにおります」 「田原さん、会社にいるんだ……」 少しだけ肩の力が抜けた。でも。 「花菱は現在、外回りです」 「花菱さんは……会社にいない?」 「はい」 胸がざわつく。 外回りと言いながら、ここへ来ている可能性だってないとは言えない。 「神田は?」 「神田も社内におります」 「そっか……」 現在、候補として挙がっている三人。 田原さん。 神田君。 花菱さん。 そのうち二人は会社にいる。 花菱さんだけが外。 「今いないからって、決めつけないでおこう。今回のことには関係ないかもしれないし」 真人さんが言った。 「とりあえず部屋を見よう」 まずリビング。 特に変わったところはない。 キッチンも。 洗面所も。 浴室も。
私が見せた紙をもう一度確認すると、真人さんはデスクの内線へ手を伸ばした。「川原、少し来てくれる?」 ほどなくして、ノックの音が響く。「失礼いたします」 呼ばれて部屋に川原さんが入ってきた。「川原。悪いけど、これから少し会社を抜ける」「承知いたしました」「社宅へ行く。相沢さんのストーカーの件だ。何者かが彼女の家のポストに投函した写真を見たんだ。君にも同行してほしい」「かしこまりました」 川原さんは理由すら深く聞かなかった。ストーカーの件で通じているので、彼のことは信頼して話しているのだろう。 真人さんが差し出した写真を一瞥すると、川原さんはすぐに表情を引き締める。「社内の確認も進めましょうか」「ああ。今、誰が社内にいて、誰が外出しているか確認できるようにしておいて」「承知いたしました」 話が早い。 さすが真人さんの秘書だ。「葵さん、行こう」「うん」 立ち上がったものの、急に緊張してきた。 あのポストに何か入っていたら? もし、またあの手紙だったら? もし、もっと恐ろしいものだったら――「葵さん」「え?」 真人さんが私の顔を覗き込んでいた。「大丈夫?」「う、うん」「無理そうなら、僕だけ見に行くよ」「でも」「確認したい気持ちはわかる。ただ、怖いなら無理しなくていい」「…………」 やっぱり優しい。「行く」 私は小さく息を吸った。「自分のことだから、この目で確かめたいの」「わかった」 真人さんが頷く。「じゃあ、僕から離れないで」「うん」
「日向さん、申しわけありません」 私は一歩前に踏み出した。「社内でこういう話をするべきじゃないとは思ったのですが、真人さんがはっきり言ってくださったので、私からも申し上げますね」 想定外の切り返しを受け、日向さんの口角がかすかに引きつった。 「私と真人さんは本気で愛し合っています。形式だけでなく気持ちのうえでもきちんと向き合っています」 私はさらに一歩前に出て、視線をしっかりと合わせた。 すっと自然に真人さんの隣に行って、腕に自分の腕を絡めた。「ご足労いただいたところ恐縮ですが、もうこれ以上、真人さんに個人的なご用件で近づくのはお控えいただけますか?」 言葉は丁寧に。でも、意思表示はハッキリと。 相手が誰であっても娘を守るため、そして自分の人生を守るために譲れないことはある。 そして今、協力体制を取っている真人さんも、自分の人生を大切にしたい局面。 だから私が全力でお手伝いするの。 日向さんは大きな瞳を少し見開き、数秒の沈黙の後、ふっと小さく笑った。 「……そう。まさか、庶民のお嬢さんがここまで言えるとは思っていなかったわ。あなた、思っていたより骨があるのね」 ものすごく嫌味なんだろう。でも私は気にしない。庶民だから。 「ええ。私は庶民であることに誇りを持っています。お金も地位もありませんが、信じ合える人がそばにいてくれるだけで、私は十分幸せです。真人さんを愛する気持ちは、誰にも負けません」 日向さんは眉をわずかに動かした。 そして、顔に仮面のような笑みを浮かべて言った。 「……なるほど。負け惜しみとしては悪くないわ。まあ、今日の所は引いて差し上げます。いずれまた」 最後にヒールの音を響かせて彼女は去っていった。 真人さんの方へは一度も視線を向けなかった。ご令嬢のプライドもあるでしょう。 社長室の扉が閉められると同時に緊張が解け、私は小さく息をついた。 強がったつもりだったけど、手のひらにはじんわりと汗が滲んでいた。 「あ、すみません!!」 腕を組んだままだったので、さっと離した。 ドキドキしちゃう……! 「葵さん、今日はよく言ってくれたね。実は困っていたんだ。なかなか日向さんが帰ってくれなかったから、助かったよ」 隣から真人さんの低く穏やかな声が落ちてきた。 「あの、すみま